日本警察の創設者、川路利良~2018年大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
2017/04/11

日本警察の父、川路利良

川路利路は薩摩藩出身のであったが当時の薩摩藩の家臣は、

身分の高い上士といわれる位と、

身分の低い郷士とに分けられていて

明治維新後に新政府の守りのための御親兵は上士が主に集められ

治安維持を主に受け持つこととなったポリス隊は郷士が集められた

 

このポリス隊がのちに警視庁となり

その初代長官(当時は大警視)となったのが川路であった

明治4年、西郷の招きで東京府の所属となった川路は、

邏卒総長に就任すると西欧視察団の一員として欧州各国の警察を視察

帰国後、警察制度の改革を建議して、

フランスの警察制度を参考に日本の警察制度を確立

明治7年に警視庁創設に伴い満40歳で初代大警視(現:警視総監)に就任

職務にかける思いいうべきか熱意はまっすぐで

ほぼ毎日、自ら東京中の警察署や派出所を巡視して回り、

一日の睡眠は4時間に満たなかったといわれている

 

「翔ぶが如く」の冒頭にでてくる逸話

明治5年の初めての渡欧の際びマルセイユからパリへ向かう列車内で

大便をしたくなった川路はトイレに行くことが出来ず、

我慢できなかったのでやむを得ず座席で

日本から持参していた新聞紙の上に排便し

その大便を新聞紙に包んで走行中の列車の窓から投げ捨てた

そころが運悪くそれが保線夫に当たってしまい

「日本人が大便を投げ捨てた」と地元の新聞紙上に報じられた

司馬遼太郎が小説『翔ぶが如く』の冒頭が

この“大便放擲事件”から始まっていたことで

川路の最もよく知られたエピソードの一つとなっている

他にもにもこの件は描かれているようだ

 

 川路の幕末期の戦功

維新後の活躍に比べると幕末期の姿はあまり描かれていないが

禁門の変では長州藩遊撃隊総督であった来島又兵衛を狙撃して倒すという戦功を挙るなど

西郷隆盛や大久保利通から高く評価されたというきろくがある

慶応4年ぼ戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いでは薩摩官軍大隊長として出征

上野戦争でも戦功を上げたの後には東北に転戦し、

磐城浅川の戦いで敵弾により負傷したが傷が癒えると会津戦争にも参加。

西南戦争のきっかけをつくる

明治六年政変を発端とした西郷隆盛の下野に対しては

警察制度を確立するのが自分の任務として東京に残った

内務卿となった大久保利通から厚い信任を受け、

不平士族が喰違の変、佐賀の乱などを起こすと密偵を用いた。

薩摩出身者の警察官を「帰郷」の名目で鹿児島県に送り込み、

不平士族の離間工作を図ったが密偵は鹿児島の私学校生徒に捕縛され

川路が西郷を暗殺するよう指示したという証言をきっかけに

鹿児島の私学校生徒たちが暴発し西南戦争のきっかけとなった

このことがきっかけで、西郷を死に追いやったものとして

川路は一部薩摩関係者からは憎悪の対象にもなっていた

西南戦争終結後、明治12年に再び欧州の警察を視察するが

しかし船中で病となり、そんことが原因で死去、享年46

一部では汚職捜査の反感で毒殺されたとの説もささやかれている

 

 川路大警視の功績

川路が警視庁に在職した期間は決して長いものではなかったが、

警察制度創始者としての評価は高く、

警察の在り方を示した川路の語録は『警察手眼』(けいさつしゅげん)として編纂

現在も警察官のバイブルとして現在も広く読み継がれている

西南戦争の発端をつくったことからドラマでもあまり

良い描かれ方はしていない川路であるが

歴史的に見た時に彼の功績をみれば

川路はむしろ近代日本の創設にはなくてはならない存在であったと言える

次回の大河ドラマではこうした人物を丁寧に描いてもらえることを期待したい

 

 

 

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